しののね日記

伊藤志野ののほほん日記

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# 心機一転!

かなり放置してました、ブログです。

もっぱら、フェイスブックにばかり書き込んでおりました。

2015年も演奏活動、指導頑張っております。

書き込みのない2013年~2014年は激動の年月を過ごしておりましたが、今現在はとても楽しく過ごしております。

周りのたくさんの方々に見守られ、応援支援していただける私は、とても幸せ者だと思います。

娘も10か月!
両親に支えてもらいながら、産後1か月から教室を再開、ぼちぼち演奏活動をし始めました。
3月の末からは、一時保育ですが、保育園にも通っています。
娘は、お腹にいるときからお箏や三味線を聞いていたせいか、音楽が大好き。
初めて胎動を感じたのが、尺八の藤原道山さんのグループ「古武道」のコンサートを聞きに行った時でした。
今は、三味線の音が好きみたいです。
私が練習していると、一緒になって、大きな声で歌っています。
声の小さいお弟子さんよりはるかに大きい(笑)

これからは、もう少しマメに、更新していきます。
フェイスブックとの関わりが難しいところですが…

育児の事を書くのは、こっちにしようか、あっちにしようか…
様子を見ながらしていきます。







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三陸邦楽の旅

fecebookを始めると、ブログの更新を怠ってしまっています。

この夏、なんとも忙しい毎日を過ごしていました。

学フェス。
今年は、いろいろ大変でした。
私もあまり手伝えず、実行委員長である母が開催日までずっと一人で事務作業、段取りをしており、当日も結局、母は走りっぱなし。
なんとかならないものか…

今年は、現代曲を教わっていた西陽子先生が、20回記念のおさらい会をされることになり、OBとして1曲参加させていただきました。
西先生の教室には、プロで活躍されている方は少ないものの、皆さんの弾かれる曲のレベルの高いこと。
難曲ばかり。
それでも、みなさんは、必死に、楽しく演奏されていて、演奏会終了後の打ち上げでの皆さんそれぞれの達成感のすごさを感じました。
私も久々に、西先生と一緒に演奏させていただき、忘れていた「爆音」をほんの少し取り戻せたような気がします。

また、一緒に演奏したいです。

そのあとは、長野の開田高原。
今年もとても涼しい風をうけて、気持ちのいいコンサートができました。
リピーターの方もいて、とてもうれしかったです。

そしてそして、東北です。

とうとう、近づいてきて、内容も決まりました。
宮城県大崎の鳴子温泉から始まり、陸前高田、気仙沼、大船渡、釜石、大槌町とまわってきます。

スケジュールは、
9月8日 13時半 鳴子温泉 仮設住宅にお住まいの方を鳴子温泉にお連れし、温泉とコンサートを楽しんでいただくという企画だそうです。

9月9日 14時半 陸前高田・老人施設松原苑

9月10日 午前 気仙沼・鹿折小学校
      午後       鹿折中学校

9月11日 10時~16時 気仙沼・大谷中学校

9月12日 10時 大船渡・大船渡保育園
      16時 釜石・平田仮設住宅

9月13日 10時 大槌町・和のっこハウス

染色家、斉藤洋さんのご紹介などで、どんどん決まりました。
ものすごく、ご要望が多いことに驚き。

あまり、邦楽の演奏家は行かれていないそう。
特に、小学校中学校は、授業で邦楽をしなければならないので、大歓迎していただいています。
他に、仮設住宅の方々、老人施設の方々、など、たくさんの方々に触れあってきたいと思います。

こちらから、お箏を6面ほど持っていき、コンサートを聞いて、お箏に触ってもらおうと思っています。

現地に行かれたいろんな方が、みんな同じことをおっしゃります。

”被災地じゃない”「生活をされている場所」
”瓦礫”じゃない、生活してきたものが壊れたもの「大切なもの」

今現在進行形で、生活をしてらっしゃる場所に、ただただ、邦楽を聞いてもらうため、お箏に触れてもらうために
三陸に伺います。

だから、こちらで行っている時と同じ気持ちで。

これが、私の行き着いた気持ちです。

2000キロ以上の旅になりますが、三陸の方々との触れ合いを楽しみたいと思います。

毎日の更新は、Facebookになると思います。
「伊藤志野」で検索して、友達リクエストしてください。



山口琴榮先生

私の師匠、山口琴榮(ことえ)先生。

物心ついたときには、母の師匠北川芳能先生が亡くなり、山口先生の所へ、母が古曲を習いに伺っていました。
まだ、小さい私は、母のお稽古についていき、大好きな「アポロ」(チョコレート)を駅で買ってもらい、先生のお宅の玄関でアポロを食べながら遊んでました。
すると先生が、「しのちゃん、そのチョコレートちょっと頂戴」と私がおいしそうに食べているのを見て、欲しいと言われたことがあります。

私は、3歳で初舞台「チューリップ」を踏んでますが、小学3年生になるまでは、適当に母の楽譜を引っ張り出し、勝手に弾いていて、母のおさらい会の時だけ、ほかのお弟子さんと一緒に練習してました。
でも、母の弾く古曲が好きで、特に「老松」という曲の出だし「そもそもまつの~(シャン)」というのが大好きで、一人で歌ってたくらい。
それで、小学三年生の時、山口先生の音色が大好きだったので、一人で、電車に乗ってバスに乗って、片道1時間半の道のりを毎週通うようになりました。

水曜日、学校が終わってから、お稽古に行っていて、夏は水筒を持っていくと、先生が帰りに補充してくれたり、
ちょっとでも、雨が強いだけでも、「危ないから休んで」とわざわざ電話を下さりました。

学校が終わってからだったので、眠くて眠くて。
三味線かかえたまま、寝かかったりして、「しのちゃん、起きて」と言われたことも。

お稽古はお箏と三味線で3時間くらい見てくださることもあったし、大人になってからは、その前後にたくさんいろんなお話を聞かせてくださるので、何時間もお宅に滞在してました。

先生は、80歳くらいの時、芸能の世界でいうと、一番よい状態の時に、舞台を引退されました。
これってすごいことなんですよ。

これから演奏が衰えていくからという理由。
といっても、まだまだバリバリなのに。
当時、私はまだ学生だったので、演奏家としてやっていくようになってから、先生と一緒の舞台に立たせてもらったことはありません。
舞台の、本番のことは学ばせてもらえなかったけれど、先生のお宅でのお稽古でたくさんのことを学ばせていただきました。

ここ何年かは、先生のお宅に伺うときは、先生の好きな食べ物をたくさん持っていき、お昼ご飯を一緒に食べました。
いろんな種類を食べようと、パンも、ケーキもいつも半分こ。

先生の好きな食べ物は、中華にたこ焼きにパンにケーキ。レンコンとエビのてんぷら。チョコレート。


先生が大好きでした。

そんな先生は、先日98歳で亡くなりました。

最後にお会いした時も、プリンを半分こ。

私の小学生のお弟子で、古曲をきれいに歌い、弾く子を、一度先生に見てもらいたくて、去年の10月に連れて行きました。
その子の弾く「すりばち」を目に涙を浮かべながら聴き、「長く続けてくださいね」と手を握ってくださいました。
その子の、次に教える曲を聞いてみると、「千鳥の曲を教えなさい。」と。
「歌がまだ難しいのでは?」というと、「それをきちんと教えるのがあなたの役目。私は6歳で千鳥を弾いた。きちんと教えなさい」と言われたのが最後の言葉。

偉大な先生。

先生に音色、弾く姿、手つき、まだ目に焼き付いています。

私は、一生山口琴榮の弟子。

先生の名に恥じぬよう、これからも精進していきます。

yamagutikotoe

やっと決心がつきました。

facebookやTwitterでばかり書いてて、こちらを放置気味でした。

タイトルでどうした?とお思いの方もいるかもしれませんが、やっと決心がついたのです。

9月に東北に楽器もって演奏しに行って来ます。

母が、昨年から東北に行くといい続け、時間のできる今年9月に決行することにきまっていました。
けれど、私の中で、なんだかモヤモヤするものがずっとありました。

いよいよ、計画を立て始めるとなって、そのモヤモヤが膨れ上がってきたのです。

《私なんかが、演奏に行ったところで、なんの意味があるのだろうか?》

これが、頭の中にぐるぐるとまわってました。

震災のあったあの時、演奏会を次の日に迎えていたので、家で練習をしてました。
私のマンションの下には、活断層が走っているらしく、高槻ですが、かなり長いこと揺れました。
阪神淡路大震災を経験してるため、この揺れはちょっと違うと思い、すぐにテレビを付け、ニュースをずっと見ていました。

津波の来る前から、津波の来ている最中、街が、車が、人が飲み込まれていく様子を、泣きながら、逃げてとテレビに言いながら、ずっと見ていました。
このままでは、明日の演奏ができなくなると思い、テレビを消しても、ずっと頭から離れず。
次の日の演奏会では、まだ被害の大きさがわかっていなかったので、決行したのですが、演奏中にこみ上げてくるものがあり、なんだかわからないうちに、自分の演奏が終わってしまいました。

震災後は、お世話になっている京都の法然院で、「悲願会」と称し、被災者に心をよせて、チャリティーコンサートやバザーがあり、第1回、2回、3回目と演奏者として参加させていただきました。

岩手で、被災者支援をされている団体「サンガ岩手」に、いろいろな物資を送ったりも…。

ここに居てできることをしてきました。

被災地に行くよりも、その費用を寄付する方がいいのではないか?そんなことも考えてしまい、モヤモヤしてたのですが、

以前から被災地に頻繁に足を運んでいる方々のお話を聞く機会はあったのですが、先日法然院でその方々と、直に私一人でお話をすることができました。

おそるおそる、私のモヤモヤをぶつけてみました。

そしたら、サックス奏者の山本公成さんご夫婦がものすごい勢いで、

「行くべきだ!!行くだけでもいい、見るだけでもいいから、現地に行くべき!!現地の人は待ってるよ」と。

私のモヤモヤを一気に吹き飛ばしてくださいました。
そりゃ、いろんな人がいる、迷惑だと思う人もいるかもしれない、けれど、待ってる、来てくれることを望んでる人もいるから。

”気持ちが大事”
役に立とうとか思わない、何かしてあげようとか思わない、ただ現地に行こう。
私は、お箏、三絃を奏でることができる。
演奏を聴いてくれる人がいれば、聴いてもらおう。

それでいいんだと、わかると、山本さんの言葉に涙がでました。
そんな話をしていると、1か月半に一度被災地に行ってらっしゃる、染色家の齊藤洋さんが声をかけてくださいました。

「ぜひ、言ってほしい場所がある」と。

予定が合えば、一緒に行きましょうと。

こんな小娘のモヤモヤを、一流のアーティストが、被災者支援を全力でされている方が晴らしてくださいました。

ということで、9月に1週間ほど行って来ます。

震災前に旅行した、震災前の姿を知ってる、大船渡、気仙沼へ。

その前に、4月30日法然院、第3回「悲願会」にて邦楽の演奏会をします。
2時半開演。
出演:(尺八)岡田道明、米村鈴笙、谷保範、小林鈴純 (琴・三絃)伊藤和子、伊藤志野
尺八が多い演奏会も珍しいです。
入場料は志納で、被災者支援団体等に寄付されます。
詳しくは、法然院のホームページで。

クラブ倶楽部 大阪・金沢冬の陣

だいぶおそくなりましたが、クラブ倶楽部大阪・金沢冬の陣無事終了しました。

今回は、本当に、メンバー一同、来場者数が読めず、今回は、お客さんは少ないかもと思っていたのに、当日沢山の方がご来場いただきまして、ほんとに安心しました。

広報もこれからもっと、計画的に行っていかなければならないなぁと反省。

大阪公演は、「湖北物語」を演奏しました。
これは、私にとっては、とても思い出深く、15年前を思い出しました。
長浜で開催された第3回の全国学生邦楽フェスティバル。
この回から、全国規模になり、募集段階からとても大変で、今のようにインターネットがふきゅうしておらず、大学受験用の全国の大学一覧をみて、全国の大学にはがきをだし、邦楽部の有無から調査しました。
また、現地でもイベントの広報のために、あちこちで仲間とこの「湖北物語」を演奏しました。
病院、お祭りの人々が行き交う横…

思いでいっぱいのこの曲を、クラブ倶楽部のメンバーで演奏できとても、うれしかったです。

金沢は、雪がとても心配されましたが、当日、なんのことなく、たどりつき、本番を迎えることができました。

会場は、21世紀美術館のシアター21。
建物もとてもおもしろく、平日なのに、たくさんの方が来館されていました。
初めて使う会場、シアターというなのとおり、防音設備がされており、生音では無理とのことで、急遽音響さんを頼むことに。
この会場には常駐の音響さんはいないので、外注。
こればっかしは、どんな方に出会うかは運。

これが、とても素敵な、抜群の音響をしていただける方に来ていただくことができました。
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会場の方も、とても親切に対応していただいたし、何よりも、今回、「メンバーゆかりの土地」ではない金沢で開催するにあたって、地元のお箏の先生、楽器やさんの多大なるご協力のもと、無事開催することができました。

みなさんに感謝です。

ほっと安心して、しっかりおいしいものを食べて、観光して、買い物して、帰ってきました。
次の日は、吹雪でえらいことになりましたが、とても楽しい演奏旅行でした。
kenrokuen


さぁ、次はどこに行こうか…

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