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しののね日記

伊藤志野ののほほん日記

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山口琴榮先生

私の師匠、山口琴榮(ことえ)先生。

物心ついたときには、母の師匠北川芳能先生が亡くなり、山口先生の所へ、母が古曲を習いに伺っていました。
まだ、小さい私は、母のお稽古についていき、大好きな「アポロ」(チョコレート)を駅で買ってもらい、先生のお宅の玄関でアポロを食べながら遊んでました。
すると先生が、「しのちゃん、そのチョコレートちょっと頂戴」と私がおいしそうに食べているのを見て、欲しいと言われたことがあります。

私は、3歳で初舞台「チューリップ」を踏んでますが、小学3年生になるまでは、適当に母の楽譜を引っ張り出し、勝手に弾いていて、母のおさらい会の時だけ、ほかのお弟子さんと一緒に練習してました。
でも、母の弾く古曲が好きで、特に「老松」という曲の出だし「そもそもまつの~(シャン)」というのが大好きで、一人で歌ってたくらい。
それで、小学三年生の時、山口先生の音色が大好きだったので、一人で、電車に乗ってバスに乗って、片道1時間半の道のりを毎週通うようになりました。

水曜日、学校が終わってから、お稽古に行っていて、夏は水筒を持っていくと、先生が帰りに補充してくれたり、
ちょっとでも、雨が強いだけでも、「危ないから休んで」とわざわざ電話を下さりました。

学校が終わってからだったので、眠くて眠くて。
三味線かかえたまま、寝かかったりして、「しのちゃん、起きて」と言われたことも。

お稽古はお箏と三味線で3時間くらい見てくださることもあったし、大人になってからは、その前後にたくさんいろんなお話を聞かせてくださるので、何時間もお宅に滞在してました。

先生は、80歳くらいの時、芸能の世界でいうと、一番よい状態の時に、舞台を引退されました。
これってすごいことなんですよ。

これから演奏が衰えていくからという理由。
といっても、まだまだバリバリなのに。
当時、私はまだ学生だったので、演奏家としてやっていくようになってから、先生と一緒の舞台に立たせてもらったことはありません。
舞台の、本番のことは学ばせてもらえなかったけれど、先生のお宅でのお稽古でたくさんのことを学ばせていただきました。

ここ何年かは、先生のお宅に伺うときは、先生の好きな食べ物をたくさん持っていき、お昼ご飯を一緒に食べました。
いろんな種類を食べようと、パンも、ケーキもいつも半分こ。

先生の好きな食べ物は、中華にたこ焼きにパンにケーキ。レンコンとエビのてんぷら。チョコレート。


先生が大好きでした。

そんな先生は、先日98歳で亡くなりました。

最後にお会いした時も、プリンを半分こ。

私の小学生のお弟子で、古曲をきれいに歌い、弾く子を、一度先生に見てもらいたくて、去年の10月に連れて行きました。
その子の弾く「すりばち」を目に涙を浮かべながら聴き、「長く続けてくださいね」と手を握ってくださいました。
その子の、次に教える曲を聞いてみると、「千鳥の曲を教えなさい。」と。
「歌がまだ難しいのでは?」というと、「それをきちんと教えるのがあなたの役目。私は6歳で千鳥を弾いた。きちんと教えなさい」と言われたのが最後の言葉。

偉大な先生。

先生に音色、弾く姿、手つき、まだ目に焼き付いています。

私は、一生山口琴榮の弟子。

先生の名に恥じぬよう、これからも精進していきます。

yamagutikotoe

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  • 2012.07/30 17:07分
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